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「ドージンワーク」最終回間近に寄せて

初期の「ドージンワーク」は面白かった。本家の過去ログを漁ってみたけど,単行本1巻は絶賛してるのよね俺。

でもいつからか面白いと思えなくなって読まなくなった。多分単行本3巻が出た辺りから連載では読まなくなったと思う。ついでに俺の単行本購入もその辺りで止まってる。

で,何で面白いと思えなくなっちゃったかと考えたんだけど,原因はジャスティスとなじみにある。結論から先に言うと,常識キャラが常識的に,非常識キャラが非常識的に動いてしまったがゆえに,面白いと思えなくなってしまった。

なじみは最初は一般人だった。その意味で彼女は《常識》的な存在だ。しかし彼女は上手くも無い絵で同人誌を作り,その結果売れずに愕然とする。彼女がこのような行動を起こすのは同人界について無知であるがゆえにである。そして彼女は読者に「こんな絵で売れるわけ無いじゃん,同人界の【常識を知らない】奴だなー」と思わせることによって,作品におかしみを与えていた。

反対に,ジャスティスは《非常識》な存在の最たるものだ。1巻で露理を口説く(?)ときのセリフや,幼女・ソーラを愛でる姿を見れば一目瞭然であろう。しかし彼は同人界では超大手であり,それなりの名声を得ている。また,なじみに付きまとう星の話では500ページの同人誌を書き上げて星を公正させようとする。この点で彼は【常識】的な存在といえる。

このように,なじみとジャスティスはどちらも常識と非常識を内包するキャラである。そして,一般世界と同人界,どちらの目線で見るかによって彼女らの常識・非常識はスイッチする。この落差が彼女らの言動を滑稽なものにし,作品におかしみを与えていた。

さて,「ドージンワーク」はその後,なじみが絵を修行する展開に入る。これはなじみが同人界的な【常識】を獲得するプロセスである。その結果,彼女はどちらの目線で見ても常識的な存在になる。ゆえに,そこに落差は生まれず,ただつまらないキャラになっていった。

一方でジャスティスはというと,かねるが登場した辺りから二人の成長を見守る立場になったことで,一般世界から見た《常識》を獲得していってしまった。結果,同人的な【常識】は相対的に小さくなり,初期ほどの狂った言動はだんだん見られなくなっていき,面白みが無いキャラになってしまった。

で,ここまで書いて思ったのは,この構成は作品的には成功してるんじゃなかろうかと。なじみとジャスティスが互いの常識=相手にとっての非常識をすり合わせて歩み寄るという面――それはなじみを中心に読めばスポコン成長ものであり,ジャスティスから見れば恋愛であるのかもしれない――では。

だから,これは作品の展開と,俺が「ドージンワーク」に求めていたものがいつからか違ってきてしまったがゆえに,俺は「ドージンワーク」をつまらないものだと思って読まなくなってしまったんだろうなあと。

俺はきっと,なじみがいつまでも身の程知らずなピコ手で,ジャスティスはいつも余裕で,「何であんたが」「フフーン」的なやりとりが見たかったんだろう。連載中にここまで思っていればアンケートで「こんな話が読みたいです!」と主張できたのだろう。あるいはなじみの成長を見守るような読みも可能だったろう。しかし時既に遅し。そしてこの話にオチはない。

2:52 on Jan 19, 2008