「ひとりごと」から「ふたりごと」へ――カザマアヤミ作品の変遷
カザマアヤミが2003年に「かさぶたさん」で商業デビューしてから7年半が経った。作者はこの間に作品の性質を少しずつ変えてきた。その変化は「他者といかにしてコミュニケーションを取るか」という点に最もよく現れている。ここでは作者の7年半の期間を4つの時代に分け(期間同士には重なりがある)、それぞれに「ひとりごとの時代」「動物の時代」「表現の時代」「ふたりごとの時代」という名前を与えて、作者作品の変遷を論じる。なお、この記事で挙げる作品タイトルの詳しい発表時期については「カザマアヤミ作品の変遷 - @nifty TimeLine」も参照のこと。
■ひとりごとの時代【商業デビュー(2003年)〜2005年前半】
「ひとりごとの時代」の作者作品は、主人公のコミュニケーションが自己完結していることが特徴である。この時代の作品としては、商業デビュー作「かさぶたさん」、第二作「その島のお話。」、同人作品「コトサラ」シリーズが挙げられる。
中でも特筆すべきは「その島のお話。」だろう。ある島に住む少女・花生は「ケーキを空に飛ば」さんとし、島の住民たちは彼女の言動が気になって首を突っ込んでいく。しかし、肝心のケーキを飛ばす理由は、最後まで花生の口から住人には説明されない。そして物語は花生の独白と、ケーキの受け主たちへの言葉――既にこの世には存在しない!――で締めくくられる。そう、この物語は、花生以外のあらゆるキャラは傍観者に過ぎず、彼女の言動の傍目の不思議さを際立たせ、あるいは〈理〉を与えるためだけに存在している。そこに、花生とのコミュニケーションは実質的には存在しない。
自己完結したコミュニケーションは、ともすればそのキャラに、そして作品自体に危うさをもたらしかねない。しかし、そういった危うさが、キャラの若年性によって多少なりとも緩和されていたことは、この時代の作者作品にとって救いだったのかもしれない。
■動物の時代【商業デビューと同時期〜2009年後半】
「動物の時代」の作品は、人間とは言葉による意思疎通が不可能な動物とのコミュニケーションを描いている。この時代の作品としては、作者の代表作「ちょこっとヒメ」および、そこにつながる同人作品の動物シリーズが挙げられる。また、「なきむしステップ」にも、若干ではあるがその要素が含まれている。
私が「あなたの手は きっと あったかい ―― 「ちょこっとヒメ」における擬人化と意思疎通 - よつぎりポテト」で述べたように、「ちょこっとヒメ」において、作者は〈視点の詐術〉とでも呼ぶべき手法、すなわち〈人間の目〉と〈動物の目〉を意図的に切り替える手法を用いることによって、スキンシップの瞬間に人間と動物が意志を通わせあっていることを強調しようとしている。(なお、この手法は「ちょこっとヒメ」を待たずとも、同人作品「やわらかい雨の後日」において既に用いられていた。)
一方で、人間同士のコミュニケーションは、この時代の前半は散漫ながら、後半になるにつれてより密に描かれるようになっていく(それはナベと颯子の関係に現れている)。その意味で、この時代は「脱・ひとりごとの時代」と読んでもいいかもしれない。
■表現の時代【2006年中盤〜2010年前半】
「表現の時代」の作品は、表現する少年少女たちの苦悩と成長、そしてそこにおけるコミュニケーションを描いている。この時代の作品としては「幻燈師シリーズ」「なきむしステップ」が挙げられる。(前述した「コトサラ」も美術部漫画ではあるが、やはり「ひとりごとの時代」の要素の方が強い。)
この頃から、作者作品では対人コミュニケーションが多く描かれるようになる。「幻燈師シリーズ」において少年少女たちが行う「幻燈」は彼ら彼女らの内面の発露であり、それは想い人に対する自己の開示として機能するがゆえに、コミュニケーションの要素を本質的に含んでいる。また、「なきむしステップ」では、主人公の奈々が想い人の杉原と相互理解と成長を通して恋人までたどり着くステップを、そして奈々が父親に自身の「絵本作家になりたい」という夢を理解してもらうための対話と理解のステップを描いている。
対人コミュニケーション、特に男女間のそれは、往々にして恋愛という要素を含む。作者もその例に漏れず、「表現の時代」は次なる「ふたりごとの時代」につながっていく。
■ふたりごとの時代【2008年前半〜現在】
「ふたりごとの時代」では、これまでの作者作品に存在していた動物や表現といった要素は薄れ、男女間のコミュニケーション――それも、いわゆる「こっぱずかしく」「ニヤニヤする」もの――が重点的に描かれている。この時代の作品としては「はつきあい」や「せなかぐらし」、そして「More Sweet Chocolate」以降に発表された同人作品が挙げられる。
この時代になると、初期の作品に見られた危うさはもうどこにもない。互いに意志を通わせあおうとする少年と少女の、あと一歩踏み込めないもどかしさ、そして一歩踏み込まれた瞬間の戸惑いが、透き通った絵と相まって効果的に描かれている。ここにおいて、作者はひとつのスタイルを確立したと言えよう。
以上、駆け足であるが、カザマアヤミ作品の変遷を追いかけた。その過程で「ひとりごと」から「ふたりごと」へ、すなわち自己完結したコミュニケーションから男女間のコミュニケーションへと、作者作品の志向が変遷してきたことを見てきた。
さて、今後の作者作品はどこへ向かうだろうか。初期作品の危うさは、いわゆる「空気系漫画」の危うさであり、それはガンガン的要素に近いものがある(事実、作者は『ガンガンWING』でデビューしている)。一方で、作者が今日に獲得したスタイルは少女漫画性が強い(「はつきあい」と同じく『ガンガンJOKER』に掲載されている「カミヨメ」と比較して、私たちはどちらが「ガンガンらしい」作品だと思うだろうか)。このまま少女漫画性を追い求めるのか、はたまたガンガン的要素への揺り戻しがあるのか、それとも全く別の要素を獲得するのか――。作者作品のファンであれば、この点を意識して作品を追いかけてみても面白いかもしれない。